欲と戯れの所在 1 柳
股間に集中した熱を、歯をギリギリと噛み締めることで散らそうと試みる。
誰の悪戯か、事前に蓮二が用意していた青学の資料が不埒な映像に変わっていた。
瞬きすらもない間に逸らしたはずの視界に、何故か焼きついた唇の赤さ。
その閉ざした瞳が、思わず重ねさせた優美。
『ほー、皇帝殿はこんなモノで爆発カウントダウンかの?』
『な、何を言うか!このような物、屁でもないわ!』
揶揄いの言葉が含んだ挑発への反発。咄嗟に稚気が勝ってしまった。
視線を戻した先では、唾液にぬらつく舌先が、怒気を発しているかのように浮いた血管を辿っている。
カメラが一歩引いたのか、未だ閉ざしたままの瞼が映し出された。
薄紅に染まる窪んだ頬、忙しく舌先が動く合間に抜けるような吐息。
奥歯が軋む。
画面の中で額に掛かる黒髪が、更に幻を濃く変えていく。
ふっくらと柔らかそうな赤い唇は色と厚みを薄く、肩に流れ落ちる黒髪は頬に掛かる程度の短さへ。
丸みのある頬に鋭さを、たおやかな首筋に強靭さを。
渇望するのは、閉ざされた瞼の奥で艶やかさを増していく瞳。
一度開かれたなら、凍えるような凛々しさが更なる欲を掻き立てる。
その唇が刻む艶笑に震えが走り、徐に開いていく唇に吸い寄せられる。
舌に乗る、苦い塩辛さ。
噛み締めていた奥歯を緩め、舌先で元を探れば、歯茎から僅かな流れ。
「弦一郎、ミーティングは終わってるんだろうな?」
不意に背後から掛けられた声に、ビクリと大きく体が波打つ。振り向けば、開けたドアを支える腕を小刻みに震わせた蓮二が立っていた。
咄嗟に言葉など浮かぶはずもなく、ただ立ち尽くす。場を繕うための言い訳など口にする気はないが、流れる映像と心情とが現状の説明だけはしなければと焦りを呼んでしまう。
どう言うべきかと考えながらも、まずは答えをと口を開く。
「その……、だな、今か――――」
「すみません、柳くん。まだ終わっていません。私が少々時間を頂いてしまったので」
言葉を幾つも発する前に、穏やかな声が被さった。
覚えのない言葉に振り向くと、柳生が笑みを浮かべながら歩み寄っている。
そのまま俺の前へと足を進め、背を見せた。
いつの間にか映像を止めた仁王は、口を開くなと言わんばかりに腕を引いている。
事の成り行きについていけず傾げようとした首を、腕を掴んでいる手が止めた。
跡が残るほどに込められた力に、仁王の顔へと視線を向ければ、小さく指を柳生へと向けている。どうやら任せろという事らしい。
仁王に倣い小さく頷きを返し、視線を蓮二と柳生に戻す。
「っ!……」
見た光景に思わず上がった声は、仁王に踏まれた足の痛みが手で押さえさせた。
寄せられた顔と顔。
わかっている。蓮二の耳へと落としているものが何かは。
だが、湧き上がるものは柳生が現状での救いの手であろう事実ですらも霞ませていた。
「……柳生、紳士の二つ名は返上したらどうだ?」
身勝手な妬心に体を震わせながら待った暫くの沈黙の後、呆れたような声音が響く。
だが、そこに含まれていたのは笑みの一片。怒りは解けたのだと胸を撫で下ろした。
謝罪と感謝を込めて、半歩ほど蓮二から離れた柳生を見やる。視線に気付いたのか、俺へと顔を向け、穏やかに緩めた口元で微かに頷いて見せた。
「私が名乗っているわけではありませんよ。ですが、この件でのその言葉は心外ですね。私も仁王くんも、今回は善意で動いたんですから」
「そんな善意はいらないな。第一、性質が悪すぎるだろう?」
顔を蓮二へと戻した柳生は、下がってもいない眼鏡を押し上げながら口を開く。
視界に入る、微かに寄せた蓮二の眉。今こそ口を出すべきかと浮かんだ考えは、唐突に起きた足先の痛みが消した。
痛みの元凶へと目をやり、仁王の足が俺の爪先を踏んでいることを確認する。小さな声で『アイツに任せんしゃい』と告げられ、再び腕を引かれる。
先と違うのは、引く腕の強さ。踏んでいた足先を蹴られ、引かれるままに部室の角へと移動すれば、仁王の背に視界を閉ざされた。
「そうですか?彼のペースを尊重していたら、精神論へと発展してしまいますよ?」
「俺としては、それに否やはないんだが」
「本当に?」
「……恐らく、な」
見えずとも、耳は会話を拾う。ただ、表情の見えない状態での話に、意味を悟ることができない。親しげな言葉の応酬だけが、俺の胸を騒がせていた。
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