竹に結んだ星祈  柳


放課後の清掃で騒がしい教室の窓の下に見えた唯一の後輩レギュラーの情けない姿に小さく溜息を吐いた。
叩こうと用意した黒板消しを窓枠に置き通り過ぎるのを待つ。

「赤也、弦一郎が留守で助かったな」

大きな竹を引き摺って喘いでいる赤也の偶然の幸運に小さく呟き、思わず口の端が上がる。
音にした名が思考の指向を一人へと導いていく。

常ならば……
廊下から急かすように掛けられる声に振り向き『掃除と言えど、手を抜くことを示唆するのはいただけないな』などと戯言を絡め、窓から意識を逸らさせる為に一応の共犯を買って出ているだろうか。
体を向けた拍子に視界を過ぎる光景に『たるんどる!』と青筋を立てる確率は94%だ。
ここは俺が先に窓から離れるべきだろう。清掃は早めに切り上げた方が良い。
部室へ向かうべき足を他へ変える理由も必要だがそう簡単に思い通りに行く物でもないだろう。
テニスを前にした弦一郎を欺くのは中々に難しい。故に、楽しい。

だが、その弦一郎は終業のチャイムと同時に高等部へと練習相手の調整に向かっていた。
関東大会を目前に控えている今は少しでも歯応えのある相手を調達しなければならない。
常なら俺が行っている雑務の内だが状況的には駆け引きより弦一郎の強面の方が役に立つ。
高等部でも夏の大会は間近に迫っているのだから。
今朝の始業前にそう言い聞かせ漸く弦一郎を説き伏せた。
窓枠に凭れながら後で知るだろう弦一郎の苦い顔を思い浮かべ、僅かな口元の緩みが笑みへと変わる。
見るとはなしに赤也の遅々とした歩みを眺めていると、背後から急かす級友の声が現実の耳に入った。



清掃を終え遅れた時間を取り戻すように部室へと足を急がせた。
呼吸を整え扉を開けば視界を遮る緑。小さく一歩離れれば枝葉がワサワサと戸口を覆っていると解った。
無理矢理押し込まれた所為か上部の折れた竹が色取り取りの紙に飾られている。
再び戸口に歩み寄り、飾りの一つを指先で摘み溜息を吐く。

「言うべき事は多々あるのだがな……
とりあえず、サンタクロースは七夕には飾らないぞ、赤也」

赤い三角帽子と白い髭を巧く作ってある紙人形を指から解放しながら、隠れているつもりだろうロッカー奥のうねり髪に言葉を掛ける。
ビクと震えた体がゆっくりと全身を現す様子を確認した後、視線を右手へ流した。
予想違わず赤い髪が揺れている。
本棚の陰に潜んでいるつもりだろうが背面の大半を曝け出していては後輩を見捨てた意味もないだろう。

「……弦一郎はまだ来ないぞ?」

「なんだ、柳だけかよ。焦っただろ」

事実を告げれば安堵したように言葉を落としガムを膨らませながら竹の下を潜ってきた赤也の隣へと並ぶ。
それを見届け赤也のうねり髪に一つ拳を落とした。

「赤也、先に許可を得るべきだったとは思わないか?隠し通せる事でもあるまい。
練習メニューの調整次第では時間を作れない訳ではないだろう?」

頭を摩りながら小さく謝罪を口にした赤也の頭を柔らかく一つ撫でる。
その手を再び握り込み横の赤へと移し先より強く下げた。

「丸井もだ。
否、それよりも、御前は後輩が見つかった後も隠れ続けた事の方がいただけないな。
赤也は基礎メニュー1セット追加。丸井は2セット追加だ。行ってこい」

叩いた瞬間に見せた不満げな顔を一瞬で崩し、赤也のくせ髪を緩くかき回す丸井の不器用な謝罪に口元が緩む。
『横暴だ!』などと喚きながらグラウンドへ向かう二人に軽く手を振り竹と向き合う。

「まずは、これを何とかしないとな」

折れた先を節で引き千切りながら遅れてくる弦一郎をごまかす言葉をいくつか思い浮かべた。



所々を削り邪魔にならない程度の飾りとなった竹の前で俯いている赤也と丸井に俺が如何にかするからと帰りを促す。
部活終了間際に戻ってきた弦一郎には組んでおいた短時間用のメニューを渡していた。
寄せた眉を解くことはできなかった物の一つの頷きと共にグラウンドへと向かう姿に一時の安堵の溜息を落としたのだが、同様に長い息を吐き出した赤也たちに緩く手を振り部活終了を告げても動こうとしない。

「御前たちがいては折れる物も折れないぞ。児戯と一蹴するだろう事は想像に難くないな。
説得は二人の方が良い。今日の所は帰れ」

言葉を足したことで二人は漸く着替えを始めた。その姿を視界に収め軽く頷き部誌を開く。
今日のメニューを頭に浮かべ個々のズレを修正していく。
書き始めようとペンを日付けに合わせた所で色彩豊かな紙束が机の脇に置かれた。
その手を辿り見上げると赤也が目を潤ませて唇を震わせていた。
戻した視線の先で長方形の紙に書かれていた言葉に笑みが零れる。

――柳センパイがなぐられませんように――

「フ、安心しろ。そう簡単に殴られはしない。
それより、国語が得意科目なら先輩ぐらいは漢字で書けるようにならないとな」

漢字ドリルでも用意するか?と続ければ『心配したのに酷いっス』と笑いながら呟き、何度も振り返りながら先を行く丸井を追って扉を出て行った。



一人残った部室は妙に静かに時を移す。
遠く聞こえる掛け声は野球部の物だろうか。
陽を落としていくグラウンドで弦一郎も同じ声を聞いているのだろう。
その声も聞こえなくなった頃、部誌を書き終えた。

「そろそろ、弦一郎も終わる頃だな」

待つ間に飾っておこうと机に広がる短冊の言葉の書かれた物を選り分ける。
数枚の短冊に書かれたささやかな願いの言葉を竹の上部へと括りつけ手を合わせた。
既に飾られていた最上部で揺れている短冊に書かれた言葉。

――部長がはやく治りますように――

それは部員一同と締められていた。
胸に灯る温かさに自然と頬が緩む。
俺も何か書こうかと短冊を手に取った。
だが、最も望む言葉は既に部員の総意として掲げられている。
勝利は望む物ではなくこの手で掴む物だ。
後は……


「……梶の葉に かきつくしても たのむかな
             あはれ一夜を 星にたぐへて…………なんて、な」

――梶の葉に願いを書けるだけ書き期待するよ
             ああ、一夜の契りをと 七夕の二星に倣って――


手にしていた七枚の短冊に愚かな男の歌を重ね呟きを落とす。
生涯を独り身で通すような知の秀でた女性に一瞬の情熱の真摯が通じるはずもない。
同じく、生涯を掛けられる真実を持つ男に一時の休息への誘惑が通じるはずがない。


「世々たえぬ 星のちぎりに たぐへてよ
             一夜ばかりの 中はたのまじ……だろう?」

――毎年絶えることのない二星の契りに倣って下さい
             たった一夜きりの仲など、あてにしません――


不意に響く低い声が正答を歌う。
次いで背中に感じた熱さに一瞬だけ竦んだ体を反せば予想違わず映る姿に同意の溜息を吐いた。

「ああ、そうか……。視点の違いにも器の大きさは出てしまう物のようだ。
あはれ一夜を、ではないな。あはれ一生を、か。
彼の星や、彼の女史が望む如くに。御前が言葉とする如くにな」

年に一度の逢瀬であることが重要な訳ではない。
遥か過去から続く思いの永き事こそに視点を当てるべきだった。
さらりと告げられた言葉に含むのが本来の答えである否ではなかったことが嬉しい。
それは再び俺の体に回された腕の強さが教えていた。

「相違はただの相違だ。器の大小ではなかろう。
俺は望んどるだけだ。一時ではなく、永き全ての御前をな」

耳元で告げられる真摯に応える言葉もなく、ただ熱い胸に体を預けた。





祈りを孕んだ熱

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