不要とするは真意を偽る言霊  柳


有り得ぬ事、と……否定した
聞き違いだ、と……己を戒めた


だが……


お前の声が頭から離れん


『寧ろ……』


其の後を、何と続ける積りだったのか……




其れから、だ
気付けば、答えを求める様に……視線を奪われている

地を駆け、球を打つ
其の動きが止まる瞬間も……
今の様に、部室で書き物をしている最中でも……

目が勝手に追っている


お前の唇を……



色めく艶やかな其れは、奪うのを視線に留めない
心捕われ、体を引き寄せる

空舞えぬ者への重力の如き力を、放つ



故に、望むのだ
其れに触れる至福を……






不意の仕種に胸が高鳴る
舌で濡らした唇が赤く煌き、目を逸らせぬ


お前を求める心が、ざわめく



走らせていた筆が止まる
一人、一人と帰って行き、静寂が包む室内に残るは……俺とお前の、二人


空間の密度が、お前への視線と変わる


今なら、言える!
あの言葉の続きを……聞かせてくれ、と……



「御前の行動が皆を浮つかせているぞ。少しは考えろ。幸村不在の今、御前が部を乱して如何する」



口を開く前に出鼻を挫かれた

だが、此処で沈んでいる場合では無い
声に含まれた冷厳
向けられた背、一言の挨拶も無く去り行こうと……


「お、俺が何をしたと言うのだ?部を乱す事は何もしとらん!」


背に掛けたバッグを掴み、慌てて声を掛ける

何故、怒っているのだ
俺が何をしたと言うのか……

言ってくれねば、解らぬ


止まった足に安堵を覚える

さぁ、教えてくれ
何を怒っている

お前の言葉を、くれ






「こう言う事だ」


言葉と同時に襟ぐりを捉まれ、引き寄せられた
お前の顔が近付き、心奪われた唇が目の前に……



何が、有ったのだ……



頭に置かれた手が、暖かい


「御前が欲を含み俺を見る。其れが彼等を惑わす。そして部が乱れる。解るな?」



幼子に言い聞かす様な態度
撫でた手に合わせ、顔が下を向く

状況は解らぬが、言葉は理解した
お前へ向ける思いが、部を乱すと言うのだな……
だが……



「解るが変えられん。気付けば目がお前を追うのだ」



顔を上げる事も出来ぬ
声を張る事も出来ぬ

此の答えに、お前が納得出来様筈も無い


だが、思いは変わらぬ
だが、思いの侭に目はお前を追う


呆れた様に息を吐くお前に、何と返せようか……


お前への思い故、と……言える筈も無い
己の未熟故、だ

すまん、と……
謝罪だけでも、聞いては貰えるだろうか……






口を開こうとした瞬間、頭に酷い痛みが襲った
何事か、と……顔を上げれば、お前に促される
痛む頭を擦り、床へと尻を付ける
此れで良いのか、と……見上げれば、足を無理矢理引かれた

伸ばした己の足に、心地良い重さが……乗った


何が、己の身に起きているのだろうか……



理解の遠い侭に、再び感じた意識の揺らぎ



焦がれた唇が、己に触れている



「部活では自重しろ。其れが出来ぬとは言わせない。出来ねば二度の機会は無いぞ」



唇に振動が伝わる

二度の……
其れは、此の接吻の事なのか?

茫と霞む思考の中で、膨れ上がる感情が有る


口中に入り込む柔らかな物……

赤く濡れた唇
其れを辿った、妖艶に蠢く……舌

見たのは先程だった
否、遥か遠くの時の中だったか……


頭が混乱を極める
膨れ上がった物は俺に見せる

喜びと同時に這い上がる、得体の知れない感情を……


言葉にするならば……


『お前を奪いたい。誰にも渡さぬ。お前の全てを俺の物にしたい!』





凶暴な感情が体を支配したがる
抑え付ける枷も、己の感情


『お前の主は、常にお前自身でなければ成らぬ』


克つのは常に決まっている
お前の利だ



己の口の端を伝うのは俺の物か、お前の物か……
首筋から舐め上げられ、其の凄艶なる様に言葉も無い

顔が熱くなる
目に膜が張る

だが、視線は捕われた侭に……


「解ったな?自らの体に意識を集中させていれば無意識に目が追った等と言わないだろう?」



聞かれた言葉に頷く以外、出来様筈も無く……

体が動かぬ
思いが溢れる
止めねばならぬ思いが……

なれば……唯、茫然と……お前が動くのを見ているしか出来ぬ



「御前が自重出来るなら……褒美を吝嗇る様な真似はしない……」


外された釦も、素肌に触れる風も……
胸に語るお前の息が、全てを飛ばす


耳朶に触れるお前の手
無意識に回した、お前の腰に置いた己の手

其れに、お前の手が絡む





何時の間にか、挟まれた頬
三度近付く、お前の顔



「此の続きには此処は相応しくは無いな。此処は、俺達の戦場だ」



触れた唇が伝える振動の、何と凛々しき
開いたお前の瞳が持つ、何と力強き


そうだ
此処は、俺達の戦場


腕を外し、体を離す
だが……思いの枷を弾き飛ばす衝撃を、既に受けた心が溢れた



「……俺は、お前だけを欲している」




声は掠れた
言葉に力は無かった

其れでも、此れは俺の思い
縦令、疎まれ様と……

此れだけは、変えられぬ



何も返されぬのも、無論承知
其れも、覚悟の上

立ち上がり、去るお前に掛ける言葉は既に無い







扉が開き、風が走る
お前の姿勢の如く、颯爽と……
此れが、最後に成るやもしれぬ
お前と、二人で過ごす時は……


だが、偽りにお前を見る事はせずに済……


「帰るぞ。置いて行かれたくなければ早くしろ。……続きをしたいなら、な」


扉を抜ける間に聞こえた言葉
予想だにしなかった、言葉

慌て、帰り仕度をしよう、と……
ロッカーの扉にバッグの紐を掛け、転ぶ……


構わぬ!
如何程情け無かろうとも、お前が離れぬならば……

其れだけで、構わぬのだ!


扉を閉め施錠し、悠然と歩むお前を追う

其の姿……
先程の凄艶な様は、欠片も見出せぬ
凛々しく、優雅に……

堂々たる自信に溢れ、生く様を知る導者の如く



お前は、俺の行くべき道を指示す
ならば、俺がお前の道を拓いて行こう



良し!門を出る迄に傍らへ立つ!



何故か力の入らぬ体を叱咤し、足を速めた




裏に潜む対等

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