知るからこその誤ち
期待を掛けた孫が彼の悪名高い法律、ＢＲに選ばれたと知ってから今日で十日を数えた。
その日は家族の揃った偶さかの休日だった。
接待だ何だと忙しい息子に友人の多い嫁、何故か休日までも学校へと向かいたがる孫。
声が掛かれば出ずにいられぬ気性の自分と来れば揃わぬ事も仕方がない。
折角の休みならば久しぶりに稽古でもつけてやるかと朝食の席で孫へと話を持ちかけた。
だが、返った言葉は玉遊びの合宿で無理だなどと鰾膠もなく。
玉遊びに現を抜かす孫が喜び勇み家を出るのを仏頂面で見送った。
出て行く孫の目は珍しくも強い闘志を漲らせ止める言葉を出せよう筈もなかった。
滅多な事では崩れない表情が近頃は喜びを露わにする事が多い。
そう彩菜に言われ仕方ないかと笑い合った。
諦めねば良かった。
断固として引き止め柔の道を進ませるべきだったのだ。
夕刻を疾うに越えても帰らぬ孫に帰れば説教と心に決めた頃に掛かった一本の電話。
それが平穏と言う名の日常を壊した。
息子が選ばれたと言われた母親に八つ当たりとわかっていながらも言葉を止められず責めた。
テニスなどやらせねばよかったのだと叩きつけ、ただ放心する彩菜を残し庭へと下りた。
一時ほどを只管に庭木と組み合い、戻った部屋には既に彩菜はいなかった。
駆け回り探した姿は孫の部屋で紅く染まっていた。
覚えているのは煩く喚くサイレンと事情を知った同僚の憐れみにも似た好奇の視線。
それから、彩菜の虚ろな表情と国晴の怒り。
そして、鏡に映った力無い老人。
一本の杉の如く正しく育った孫に人を殺めて帰れと望める筈もない。
行き場のない祈りだけが家と病院とに渦を巻く。
ただ生きて帰れと叫ぶ心と、あまりに重い現実を背負わせたくはないと泣く心と。
鬩ぎ合う心が冷たく渇き、何する事もできぬ年老いた我が身は干乾び彷徨う。
今、孫は何を思い何を為しているのかと。体と心とに傷を負っているのかと。
飛ばす思いに死は欠片すらも浮かびはせずに、彩菜と国晴の窶れた顔と寄り添いあう。
そして、今日で十日を数えた。
朝に床を離れれば真っ先に顔を合わせた孫を奪ったのは誰なのか。
未だ恨むべきを、政府なのかテニスなのか、それとも自らをこそなのかを揺らしたままに。
十日で常とした自責を含む祈りにも似た疑問を床に座したままに思う。
そこに、呼び鈴が鳴った。
「今更、何の現し世との関わりじゃ」
零れた声に遅れ、戸口へと体を向かわせる。
戸を開け放ち睨み据えるようにそこへと立つ者へ視線を遣った。
「先触れなく失礼致します。プログラムの終了をご報告に参りました。
第＊＊回政府制定青少年保護教育法内指定プログラムは
昨日、午前〇時十三分、手塚国光君の優勝で終了。
同、午前一時二十八分、本プログラム監視官大和祐大と共に死亡。
遺体は前プログラム同様、現地死亡現場での荼毘となります。
此方が遺品です」
スーツ姿の男が直立不動で用件を告げる。
聞こえた言葉に喜びにも似た哀しみが一瞬浮かび、続けられた言葉に体が崩れ落ちた。
気が付けば既に男はいなかった。
指の一本ですらも動かしたくはない。このまま心の臓が止まれば良い。
その思いに身を任せ薄暗くなる視界をも止めず目を閉じようと……。
だが、それは許されなかった。
告げねばならない。絶望への言葉を彩菜と国晴に言わねばならない。
人を殺め、帰りもせず、何を思い逝ったのか。
永劫にわからぬ事となったそれへの手掛かりになるかと荷を開く。
そこには青と白と赤があった。
「そんなにも……望んだか。父より母よりと思える友を……得たか」
それが何かを悩む事はなかった。
中学に上がり暫く経ったある日、珍しくもわかるほどに顔を綻ばせ着て見せていた。
試合に出られる代表になったのだと、必ず全国大会に行くのだと。
上着を数えれば８枚。合宿と言い、家を出る際に聞いた名と同数の上着。
孫の物はなかった。
玉遊びと一蹴したそれにこそ、罪を背負い逝くほどの男とする物があったのか。
溢れた滂沱と哀しみに勝る誇りとがそれを手に立ち上がらせる。
「儂より先に逝くなどと、この不孝者めが。じゃが……それを越え、誇りに思う」
向かうは彩菜のいる病院。
彩菜は泣くだろう。
だが、知る筈だ。息子の高き誇りを、広き心を。
「届けに行かねばな。打たれもするだろう、泣かれもするだろう。
じゃが、それが国光の遺志じゃ」
そして、孫が罪背負うてまで守りたかっただろう友垣の家へ。
彼等の強き絆を届けに。
歩く先に見えたと感じた孫の心を光と変える。
戸を抜ける体はその心のように燦々とした陽を受け、精気を取り戻していた。
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